今秋、三越創業350周年を記念して開催する「ベルサイユ宮殿晩餐会」。11月6日夜、ベルサイユ宮殿の「戦闘の間」でフランス料理界の巨匠、アラン・デュカス監修による特別メニューをご堪能いただきます。当日、会場にはデュカス本人も来場。日本からの客人に何を語ってくれるのか、料理とともに楽しみにされている方も多いでしょう。今号では、晩餐会に先駆け、快くインタビューに応じてくださいました。料理だけでなく食材やもてなしについて常に思索を続ける巨匠の言葉を、ぜひお楽しみください。
Profile:【アラン・デュカス(Alain Ducasse)】
1956年、フランス生まれ(現在はモナコ国籍)。16歳で料理の世界に入り、1990年にはモナコのレストラン「ルイ・キャーンズ」のシェフとして世界最年少でミシュラン3ツ星を獲得。以来パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京、京都、シンガポールなど世界各地で事業を展開。料理や製菓の教育機関を創立するなど後進の指導にも尽力している。
1956年、フランス南西部ランド地方の村、カステルサラザンの農家に生まれたデュカス。自宅の農園と菜園で採れた食材を食して育ち、16歳で料理の世界に身を投じると、ミシェル・ゲラール、アラン・シャペルら多くの先達のもとで料理の修行を積む。
デュカス まずはこの50年間の料理界の変化について説明しなければなりません。世界中の国と同様、フランスでも料理に対する関心が驚くほど高まり、レストラン業のサービスは多様な変化を遂げました。そこにはSNSなどコミュニケーション技術の進化があります。これにより、これまで料理への関心がそれほど高くはなかった国も含め、世界中の至る国々で驚くべき才能が開花するということも起きています。一方、日本、フランス、イタリアなど、もともと料理の伝統を持つ国々は、その伝統を維持しながら、完璧に料理を進化させてきました。
こうした変化を踏まえてもなお、私は、一流の料理において最も重要なこと、つまり基本は素材の品質であると考えています。この考えは、今も、おそらくこれからも変わらないでしょう。そして、より安全な食材をお客さまに提供するために、私たち料理人には、農業や漁業の分野に対しても可能な限り支援することが求められていると思います。50年を経てここまで認識が広がりました。
1980年以降、南仏をはじめ各地のレストランでミシュランの星を得るなど躍進。モナコの「ルイ・キャーンズ」シェフ就任3年目の1990年には、史上最年少で3ツ星シェフに。以降、世界各地にレストランを展開。2016年には、ベルサイユ宮殿内にレストラン「オーレ」を開く。
デュカス これは難しい質問ですね。なぜなら「今までのフランス料理」というものが何か、によって変わってくるからです。19世紀のフランス料理と私の料理を比較するということであれば、そこに関係性を見つけることはできません。この50年以上の間に、フランス料理は根本的に軽いものになりました。たとえば、バターやクリームなどを使用した重いソースはその姿を消しています。ベルサイユ宮殿内のレストランの料理に関して、私は宮廷時代の料理や当時行われていた儀式などからも着想を得ます。17世紀、18世紀の料理は、すばらしいインスピレーションの源になります。しかし、当然のことながら、当時のレシピをそのまま再現することはしません。なぜなら現代の私たちの嗜好は、当時と同じではないからです。
料理人に欠かせない姿勢として、事あるごとに語ってきたのが、自然との調和、地球が育む資源への敬意、生産者への感謝。同時に、店を訪れた人に比類ない思い出を提供するためには、多くの要素が必要であることも説いている。
デュカス この質問に対する答えは簡単です。私たちは「すべてのこと」に細心の注意を払っています。使用する食材、それを変容させる技術、食器や盛り付け、テーブルでそれらをお飲み物とともにどのように提供するか。お客さまに忘れられないひと時を過ごしていただくためには、そのすべてに対する細かい配慮が欠かせません。
2004年、東京・銀座に開いたレストラン「ベージュ」を皮切りに日本にも進出。現在、世界に展開する約30軒のレストランのうち6軒が日本。
デュカス 私は、少なくともこの30年間、定期的に日本を訪ねてきました。日本は私の大好きな国の1つで、とりわけ料理が大好きです。おことわりしておきますが、“1つの日本料理”ではなく“たくさんの日本料理”です。日本には実に多くの料理がありますからね。フランスと日本の料理人の交流は1970年代からはじまりました。ヌーベルキュイジーヌのシェフたちが日本に注目したのです。当時のシェフたちは、日本料理の芸術的な盛り付け、簡潔なレシピ、そして調理時間の短さに大変魅了されました。そして私も同じように魅了されています。その頃、多くの日本人料理人が、フランス料理を学ぶためにフランスを訪れ、なかには定住した人がいることもお伝えしておきましょう。
自分の店で使うショコラ(チョコレート)をつくりたいという長年の夢を、2013年、パリのショコラ工房設立で叶えると、その5年後には東京にも工房をオープン。食への好奇心、探究心はとどまるところを知らない。
デュカス この質問に対しては、残念ながら答えがありません。30軒のお店を経営していると、好きな料理を一品だけ持つことは許されません。私の役割は、それぞれのレストランの魂に適した料理を考案し、それらを更新し続けていくことだからです。もし、この難しい質問に答えるとすれば、「私の好きな料理は、いまだに食べたことがなく、まもなく見つかる料理」ということになるでしょうか。
11月6日、ベルサイユ宮殿で開催される三越創業350周年特別企画の晩餐会で、デュカス監修の特別メニューが供される。当日は本人も来場。
デュカス 三越350周年を祝福するこのソワレ(夜会)は、とても感動的なものになるでしょう。この記念すべき晩餐会が行われるベルサイユ宮殿は、17世紀後半、つまり三越が創立された1673年当時に最盛期を迎えた場所でもあります。参加されるお客さまにとって、この晩餐会が、三越とベルサイユ宮殿が歩んできた長い歴史を感じ、そこから未来への活力を汲みとる機会となることを、心から願っています。
インタビューからは、料理界全体を見渡す広い視野と料理に対する熱く静かな想いが伝わってきました。直感的なひらめきと繊細さが同居する唯一無二の料理。ぜひ晩餐会でご堪能ください。
今や世界で愛されるチョコレート。この魅惑の食べ物がフランスに持ち込まれたのは、17世紀、ルイ13世の時代でした。続くルイ14世の治世で、滋養強壮、不老長寿、そして媚薬として、チョコレートは貴族や上流階級に流行。1770年、ルイ16世のもとに嫁いだマリー・アントワネットは、宮廷に専属のチョコレート職人を連れてきたそうです。
しかし、誰よりこの魅惑の味を好んだのは、数々の愛人を持ち「最愛王」とも呼ばれたルイ15世といわれています。王自ら、ベルサイユ宮殿にある王の居室のキッチンでホットチョコレートをつくることもあったとか。「お湯と同じ分量の固形チョコをコーヒーポットに入れ、弱火にかけて溶かし、飲む直前に卵黄を加えて沸騰しないよう注意しながらかき混ぜる」―王が残したホットチョコレートのレシピは今に伝えられています。