[ 海外特集③ ]

REPORT
当社社員による現地レポート 第4弾

ドラマチックな大自然と
異なる魅力の島々

“ヨーロッパ最後の楽園”

企画=森脇潤 文=森脇潤
  • イメージ イメージ テイデ国立公園の奇岩群と背後に最高峰テイデ山(3,718メートル)を仰ぐ
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企画担当・森脇潤

スペイン・カナリア諸島視察記

今回はスペイン政府観光局、カタール航空のご協力のもと、現地視察へ行ってきました。“ヨーロッパのハワイ”ともいわれるカナリア諸島は、世界中の観光客で賑わっていました。「カナリア諸島にて」という大滝詠一さんの名曲を思い出す方も多いのではないでしょうか?ヨーロッパでありながら、秘境を訪れたような自然豊かな景色が広がり、各島に異なる魅力があります。

カナリア諸島は八つの島から構成され、約200万人が暮らしています。そのうち、テネリフェ島、ラ・パルマ島、そしてランサローテ島の3島をめぐりました。

視察初日の7月11日。成田空港を出発し、ドーハ、マドリードを経由して、カナリア諸島の中心地テネリフェへ。カナリア諸島はスペイン本土から南西に約1,100キロ、アフリカの西海岸から約115キロに位置し、日本の奄美大島と同じくらいの緯度にあります。夏のスペインといえば非常に暑く、特に今年のマドリードは連日40度近く。しかし、カナリア諸島では、最高気温は25度前後で日本のような湿度はなく、“常春”ともいわれるな気候で毎日を過ごせました。

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カルデラの内外では別世界!最高峰テイデ山のあるテネリフェ島

最初の宿泊地、世界遺産の街サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは、どこかキューバなどを連想させるカラフルな彩りです。実はこちらこそが、中南米の街のモデル。スペインとポルトガルが支配した大航海時代、ここを拠点にして中南米に船は進んで行きました。北東からの強い貿易風が吹くことで、格好の補給地となり、島は繁栄。コロンブスの新大陸到達にも大きく貢献しました。カナリア諸島と中南米の密接なつながりは、この頃から現代まで続いているというのだから驚きです。

  • イメージ サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナの街並み朝食前の気持ち良い散歩中にパシャリ
  • イメージ カナリア諸島原産の竜血樹。赤い樹液は中世から染料などに用いられ、高く取引された

標高3,718メートルのテイデ山は本土も含めてスペイン最高峰。元々5,000メートル級の火山が陥没したことで、東西15キロもある巨大なカルデラができました。このカルデラの外側には、海面から吹く湿った貿易風が雲をつくり水分をもたらすことで、カナリア松などの豊かな緑が広がります。それとは対照的に、標高約2,200メートルに位置するカルデラの内部には雲が入れないため、一面に乾燥した景色が続き、まるで別の惑星に降り立ったような気分になれます。

島南部ではホエールウォッチングも人気です。テイデ山を仰ぎ見ながら隣の島との海峡へ向かうとイルカや無数のクジラが泳いでいました。クジラが生息している地域のため、95パーセントもの高確率で出あうことができるのだそうです。

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天体観測の聖地ラ・パルマ島 東京大学の研究チームも

ラ・パルマ島は、約82,000人が住む、緑に囲まれたのどかな島です。海沿いのバナナ畑を見ながら最高地点であるロケ・デ・ロス・ムチャチョスへ。だんだんと標高が上がり、いつしか雲海の上へ。すると、無数の大きな天文台が見えてきました。ここでは東京大学の研究チームをはじめ、世界中の研究者が天体観測をしています。ガイドさんによると、カナリア諸島では、美しい空を守るため、世界に先駆けて航空機の航行や光害を法律で規制していることに加え、ヨーロッパ本土から離れているので大気汚染が少ないそうです。天体観測が盛んなことにも納得でした。

  • イメージ 2021年に噴火したラ・パルマ島。溶岩が流れた様子がよくわかる。今は日常を完全に取り戻した
  • イメージ ラ・パルマ島最高地には、ニョキニョキ伸びるカナリア原産の高山植物タヒナステ・ロホ(右)が咲く
  • イメージ イメージ 標高2,200m地点では、改めて天文台や雲海の上に来たと実感

中心地サンタ・クルスは、大航海時代、スペイン本国とアメリカ大陸を結ぶ重要な航海ルートの寄港地でした。そのためセビリア、アントワープ(現ベルギー)と並び、スペインでも重要な港となり、当時の栄華を残す石造りの家々やカナリア諸島独特の伝統建築、そして大きな教会が並んでいます。

  • イメージ イメージ のどかな田舎に突如として現れるサンタ・クルスの街。あまりの賑わいにビックリ!
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天体観測の聖地ラ・パルマ島 東京大学の研究チームも

3島目はランサローテ島へ。クレーターが無数にあり、非常に雨が少ないため荒涼とした景色がどこまでも続きます。かつて、雨が降らない時には多くの方が飢饉で亡くなった歴史を持つほど貧しい島だったそうです。そんな島を救ったのが地元出身の芸術家セサル・マンリケ。1960年代からニューヨークで活躍し、注目を集めました。故郷を愛した彼は、観光での島おこしを成功に導いた仕掛人。観光業を促進しながらも、島が持つ独特の自然を最大限に活かした芸術作品を残しました。

また高層階の建物や道路の看板をつくらない、建物を白もしくはベージュに統一するなど、美しい景観が損なわれないように最大限の配慮を行った結果、島はヨーロッパ屈指のリゾート地として発展しました。昨今、地方創生という言葉を耳にしますが、50年以上も前からこの感覚を持っていたマンリケには改めて驚かされました。

  • イメージ イメージ こんなぶどう畑はほかにない!と、気づくと100枚以上写真を撮っていたラ・ヘリア地区

ティマンファヤ国立公園では、300年前の噴火で生まれた大パノラマが広がり、その景観は当時からほぼ変わっていません。地中の温度が高いので植物も育たない過酷な環境。そんなただひたすらゴツゴツとした溶岩台地が続く公園内に、くり抜かれた1本道を観光客を乗せたバスは走って行きます。私もずっと車窓から離れられないくらい、圧倒的な光景でした。

さらに衝撃を受けたのは、ラ・ヘリア地区のワイナリーのぶどう畑の景観。火山灰の地層の上に石垣をつくり強風からぶどうの木を守っています。石垣は絶えず強い風が吹きつける北東を向いており、大きな穴を掘ってそのなかに植えるのが最も伝統的な栽培方法だそうです。ここでつくられるワインは生産量が少なく、日本はもちろんスペイン本土でもあまり出回らないため、愛好家がわざわざ訪れるほど。島には欧州指折りの古いぶどうの木があるんだよ、とワイナリーのオーナーが自慢気に説明してくれました。19世紀に欧州全土のぶどうの木は、害虫などの影響を受け、古くからのオリジナルの苗はほぼ全滅。本土と離れたランサローテ島は被害を受けなかったため、樹齢200年以上の木が残っています。

  • イメージ 観光名所の看板にもセサル・マンリケの遊び心があふれる
  • イメージ ランサローテ島の知事(左から2人目)が出迎え記念撮影

カナリア諸島といっても、個性あふれる島ばかり。いずれも地元の観光局から温かい歓迎や、地元紙の取材を受け、コロナ禍で長らく遠のいていた日本人観光客への強い期待を実感しました。ヨーロッパ通の方でも未訪の方や、クルーズでめぐる旅も多いこの地域ですが、島に泊まる旅もおすすめです。