[ 三越創業350周年特別企画① ]

「ベルサイユ宮殿特別晩餐会の旅」

『ベルサイユのばら』
作者・池田理代子さんが語る

真実のアントワネット

企画=木村聡/長谷川賢/篠原陽子 文=佐藤淳子
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今秋、いよいよ催行となるベルサイユ宮殿晩餐会の旅。今回は、旅への想いを膨らませていただくべく、ベルサイユを舞台にしたの名作漫画『ベルサイユのばら』の作者、池田理代子さんにご登場いただきました。高校時代、マリー・アントワネットの伝記を読んで作品の着想を得たという池田さん。「贅沢好き」といわれたフランス最後の王妃マリー・アントワネット本来の姿や彼女が暮らした宮殿、当時の文化などについて、興味深い池田さんのお話を中心にお届けします。

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『ベルばら』を生んだアントワネットの生き様

『ベルばら』の愛称で知られる漫画『ベルサイユのばら』。1972年に連載がスタートするや空前の人気を博し、連載終了後には宝塚歌劇の演目となって『ベルばら』ブームを巻き起こしました。連載開始から50年以上経った今も、不朽の名作として、日本だけでなく世界中で愛されています。

作者・池田理代子さんが、作品を描こうと思ったきっかけは、高校時代に読んだシュテファン・ツヴァイクの伝記文学『マリー・アントワネット』だったそうです。

  • イメージ イメージ ベルサイユ宮殿を訪れたのは『ベルばら』連載終了後。宮殿の豪華さは想像以上だったという

「マリー・アントワネットというと、世間では悪女のイメージですが、本当は素直でかわいらしい女性でした。王妃の自覚をもたないまま異国に嫁ぎ、革命の渦のなかに投げ込まれた彼女は、不幸な環境のなかで人として目覚め、成長していく。その過程がとても印象的で、これをぜひ作品として描いてみたいと思ったんです」

オーストリアのハプスブルク家に生まれ、女傑として知られる母・マリア・テレジアのもとで育ったアントワネットは、14歳の若さでフランスの王太子ルイ一六世に嫁ぎます。両国和解のための政略結婚でした。

「母テレジアは躾に厳しい人でしたが、16人兄弟の15子(女子としては末っ子)だった彼女にまでは行き届かなかったのかもしれません。将来、フランス王妃という立場がつとまるのか相当心配していたようです。王であるルイ15世が何人も愛人をもつなど、当時、フランスの宮廷が乱れていたことも不安だったでしょうね」

結婚からわずか4年後、ルイ15世の急逝を受け、アントワネットは10代で王妃となります。

作品は、男装の麗人オスカルやその幼なじみアンドレという架空の人物を交えつつ、アントワネットをはじめとする人々の生き様や恋模様をフランス革命の経緯とともに生き生きと描き出しました。

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実際に訪れて知った宮殿の本当の豪華さ

作品の舞台はもちろん、アントワネットが暮らすベルサイユ宮殿です。ただ、池田さんは作品を描く以前に訪れたことはなかったのだとか。

「当時はまだ学生の身分だったので、フランスに行く資金がなかったんですね。連載が終わってから宮殿を訪れたのですが、予想よりずっと柱は太いし壁も厚い。これだけの豪華さは想像していませんでしたからとても驚きました」

その後何度も訪れ、1999年には、ベルサイユ宮殿での晩餐会に参席したそうです。絢爛豪華な「鏡の間」で赤いドレスを着てほほえむ当時の写真が宮殿の優雅な雰囲気を伝えます。

「でも、この立派な宮殿では、アントワネットは安らかに暮らせなかっただろうなと思いましたね」

こんなふうに池田さんが語るのには理由があります。「贅沢好き」として知られるアントワネットの本来の姿は、別のところにあったからです。

「実は質素で静かな暮らしを好む人だったのだと思います。王妃となってしばらくは、したい放題でしたが、結婚7年後に母となってからはとても家庭的になりました。いいお母さんだったと思います。後年、彼女が暮らした宮殿近くのプチ・トリアノンを訪れた時、彼女が、自らカーテンや家具を選ぶような普通の生活を望んでいたことがよくわかりました。大理石を贅沢に使い、見事な装飾を施した宮殿は、ルイ14世が自らの権威を見せつけるためにつくった場所であって、人が平穏に暮らす場ではなかったのでしょう」

  • イメージ ベルサイユ宮殿を訪れたのは『ベルばら』連載終了後。宮殿の豪華さは想像以上だったという
  • イメージ 1999年、宮殿で開催された晩餐会に参席した池田さん。「鏡の間」に赤いドレスが映える

声楽家としても知られる池田さんは2011年、プチ・トリアノンにある「王妃の小劇場」で100人ほどの観客を前にリサイタルを開いています。

「一見、豪華に見える緞帳(どんちょう)や柱は、近くで見るとすべて木に描かれたもの。ここでアントワネットがお芝居などをしていたのですが、いわれているほど豪華ではありません。舞台も木が痩せていて奈落が見えました(笑)」

しかし「贅沢好き」の評判が定着していたアントワネットはやがてフランス財政破綻の元凶として民衆に糾弾されるようになります。貧困に苦しむ人々が宮殿に押し寄せた際は、寝室の隠し扉から逃亡しますが、池田さんは、宮殿を訪れた時、壁に当時の斧の跡を見たそうです。アントワネットはその後、家族とともに捕らえられ、シテ島の牢獄コンシェルジュリーで2カ月半を過ごした後、断頭台に上ることとなりました。

『ベルばら』の主要登場人物は、オスカルとアンドレ以外、ほとんど実在の人物です。池田さんは連載終了後に訪れたフランスで、日本人通訳が「最近、なぜか日本の女性はフランス革命に詳しい」と語るのを聞いたそうですが、作品の人気を考えれば、至極当然の現象だったでしょう。

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王妃のファッションは世の女性たちの憧れ

最期は民衆の敵と見なされ、その怨嗟のなかで非業の死を遂げたアントワネットでしたが、フランスに嫁いできた当時は、その愛らしさで国民を魅了しました。彼女の身につけるものを女性たちがこぞって真似をする、いわばファッションリーダーでもあったのです。シノワズリやアラベスクなどの模様もこの当時の流行でした。

「かわいらしいものが好きだった彼女が選ぶファッションは後のフランスの財産になりました。でも1日3回くらい着替えをしたそうですから、それはそれで大変だったのではないでしょうか」

現在の王妃の寝室には、かわいらしい花柄をはじめアントワネットの時代の内装が復元されています。そして華麗なアントワネットの姿は肖像画に見られます。彼女の肖像画の多くを手がけたのは、『ベルばら』にも登場する王妃お気に入りの肖像画家、ルブラン夫人でした。実は、作品で描いた女性たちの中で池田さんが最もお気に入りと語る人物です。

  • イメージ イメージ アントワネットが、お気に入りの画家ルブランに描かせた肖像画。ファッションにも注目

「どんな天才も、女であるというだけで“いないも同然”と言われる時代に、画家としての自分の才能を活かし切った稀有な女性だったと思います」

ベルサイユ宮殿には多くの肖像画が飾られていますが、そんな背景を想いながら眺めてみるのも楽しいかもしれません。

ちなみに、作品に登場する男性陣の中で池田さんが好きなのは、決断力はないものの大らかな人物として描かれていたルイ16世。

「ダンスも女性との会話も下手だけれど、優しくて浮気もしなくて、ものすごく勉強家。私のタイプです(笑)。彼は王であるが故に処刑されました。王であることが罪だった時代だったのですね。本来いい王様だったと思いますよ」

作品の誕生から50年以上を経た今も色あせない『ベルばら』。それは登場人物それぞれが、その時を懸命に生きる様が描かれているからではないでしょうか。彼らの生きた証がベルサイユ宮殿には随所に残されています。

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ベルサイユ宮殿の南側には、「王の菜園」と呼ばれる菜園があります。これは、食に強いこだわりをもつルイ14世の命でつくられたもの。9ヘクタールもの広大な敷地では、王の食卓に並べる野菜や果物が育てられました。驚くべきは当時の技術。土地柄、通常の栽培方法では育たないメロンやイチジクなどを収穫するため、周囲を高い壁で囲い、そこに太陽熱を蓄えたのだとか。王の好物だったいちごなどを、旬ではない時期に収穫できるよう堆肥にも工夫を凝らしたそうです。

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この菜園では今もルイ14世の好物だったグリーンピースをはじめ数百種におよぶ野菜や果物が栽培されています。そのなかにはマリー・アントワネットが愛したバラやりんごもあり、フランスの老舗紅茶ブランド「ニナス」は、これらで香り付けした商品を販売しています。

  • イメージ イメージ *参考:フランス観光開発機構公式サイト
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池田理代子さん講演会も楽しむ
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6月6日(火)13:30~16:00/有楽町朝日ホール

▶池田理代子さん特別講演会「ベルサイユと私」

▶三越創業350周年特別企画ベルサイユ宮殿晩餐会の旅

9月~11月出発 全16コース