[ 海外特集③ ]

木村聡の視察報告

懐の深い国
トルコのその先へ

企画=木村聡 文=木村聡
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人気の旅行先「トルコ」。アジアとヨーロッパの交差点として、多くの旅行者を魅了しています。特にコロナ後は、トルコリラ安の影響から、比較的旅行代金の割安感もあり、多くのお客さまにご参加いただいています。トルコはその歴史から親日家が多く、一度訪れた方がトルコを好きになり、もう一度トルコへ行きたいという声も多く聞かれます。そこで、まだ見ぬトルコの旅をつくりたいと思い、昨年7月に東トルコ視察に行ってまいりました。

  • イメージ イメージ ネムルート山頂遺跡。西テラスから夕陽を望む
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ネムルート山頂の遺跡に感動

今回最大の目的が憧れのネムルート山でした。元々私は登山が趣味で、高い所に登りたい性分。以前から、ネムルート山の遺跡の神秘的な写真にひかれていました。今回実際にその場を目にするチャンスが訪れ、出発前から興奮が止みませんでした。

まず、ターキッシュ エアラインズでイスタンブールへ。1泊してから翌日の国内線でマラティヤ空港へ。そのままネムルート山に向かいます。

小回りの利くミニバンで、山道を軽快に進んでいきます。車のエンジン音が高くなり、どんどん標高が上がるにつれて、期待も高まっていきます。最終目的地で車を降り、緩やかな上り坂を20分程度徒歩で上ると、ようやく山頂遺跡に到着です。

  • イメージ イメージ ネムル―ト山へ至る道

標高2,134メートルの山頂には、約2,000年前のピラミッドがそびえ、その東西に不思議な巨像が並んでいます。神々の巨像はユーフラテス河が流れるアナトリアの大地を見下ろしています。

 今回は日没前の午後8時頃に山頂に到着。西のテラスの巨像がオレンジ色に染まり、とても幻想的な時間が流れていました。懐の深い、悠久の歴史を感じながら眺めるアナトリアの大地の大パノラマに、本当に時間を忘れてしまいました。

  • イメージ イメージ ネムルート山頂の東テラスに並ぶ神秘的な巨像群が、アナトリアの大地を見下ろしている

この遺跡は起源前3世紀頃、ペルシャを倒したアレキサンダー大王の、次にこの地を支配したコンマゲネ王国の時代のものです。これらの像は、東西文化が合わさった神々の顔がとても特徴的です。

今回は時間に限りがあり、夕陽の時間帯の見学でしたが、このたび企画した当社の旅では、ネムルート山麓に宿泊し、本来最も美しいといわれるご来光を見る行程としました。

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人類の宗教と文化の「ゼロ・ポイント」ギョベクリ・テペ遺跡

次に2018年に、新しく世界遺産へ登録され話題になった遺跡を見に行きます。その名も「ギョベクリ・テペ遺跡」。地球上で最古の高度な文明といわれていたメソポタミア文明よりも、7,000年も古い文明の遺跡であることが判明しました。自分が今まで訪れた遺跡の建造年を調べたところ、英国のストーンヘンジが紀元前2500年、エジプトのピラミッドが紀元前2600年、マルタの巨石神殿群が紀元前4400年。そして、今回のギョベクリ・テペ遺跡はなんと紀元前1万年につくられたものでした。

これまで人類史では農耕をはじめてから人が集い、そして信仰がはじまったとされていました。しかし、この遺跡は農耕がはじまったとされる時期よりも2000年以上も前のものと分かり、人類史の定説を覆す発見といわれて、人類の宗教や文化の原点となった「ゼロ・ポイント」ともいわれています。

遺跡の入口ゲートから遺跡までは専用の車で移動します。周囲に何もない広大な大地に、ポツンと遺跡を保護する巨大な屋根が見えてきました。ここでは今も発掘作業が続けられています。1万2000年前、ここに人々が集い、祈りを捧げていたと思うと、深い感動を感じられた瞬間でした。

  • イメージ イメージ 遺跡のシンボル、2つのT字型に組まれた石柱は訪問者の想像を掻き立ててくれる

実は、この地方は、トルコで一番暑い場所。この日の温度は43度。暑い日は50度を超える日もあるそうです。焼けるような陽射しですが、湿気が少ないため、猛烈な太陽の陽射しを遮ることができれば観光は可能です。遺跡はすべて最新式の屋根が設置され、また、見学路も緩やかなスロープが整備されとても歩きやすく、快適に一周することができました。

この経験から、真夏の暑さを少しでも避けるため、ツアーの設定時期を6月上旬と9月中旬に設定しました。6月と9月の平均最高気温は34度程度。もっと涼しい時期に行きたいと思われるかもしれませんが、この期間より早く、または遅いと、ネムルート山頂が雪で覆われてしまうのです。

  • イメージ 最新式の日射し除けがギョベクリ・テペ遺跡を守る
  • イメージ 歩きやすいスロープで遺跡を一周することができる
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預言者アブラハムの生誕地、
シャンルウルファと美食の街ガズィアンテップ

シャンルウルファに2015年にオープンした、トルコ最大の博物館。トルコが威信をかけて完成させたシャンルウルファ考古学博物館は、時代別の展示が高く評価されています。世界の有名な遺跡や神殿の年号が明示されるとともに、その時代ごとのトルコ内での出土品を約1万点展示しています。特に前述したギョベクリ・テペ遺跡からの出土品が見事でした。

また、この街では旧約聖書に登場する“人類の祖”預言者アブラハム生誕の地と伝えられる洞窟を見学。洞窟の奥は祈りの場として多くのイスラム信者が訪れていました。そのすぐ近くにある、聖なる魚の池では、鯉に餌をやる人たちの姿が。白い魚を見たものは天国に行けるといわれているそうです。小さな子どものいる家族が池の前で嬉しそうに写真を撮っている姿がとても印象的でした。

街を歩いて驚いたのが、なんとも子どもの多いこと。たまたまかもしれませんが、幸せな気持ちになれました。

  • イメージ イメージ ローマ時代の邸宅が再現されている「ポセイドンとユーフラテスの二別荘」(ゼウグマ・モザイク博物館)
  • イメージ シャンルウルファ考古学博物館では、ギョベクリ・テぺ遺跡のなかを歩いている感覚になる
  • イメージ アブラハム伝説の地、「聖なる魚の池」にはいつも人だかりが

また、この街に日本人観光客がいるのは珍しいらしく、多くの若者が笑顔で声をかけてくれます。トルコが親日の国というのは本当でした。日本が尽力したトルコの軍艦エルトゥールル号沈没後の救済の話などを学校で学ぶのだそうです。(スカイニュース2024年5月号「日本とトルコを結ぶ山田寅次郎の軌跡」参照)

ガズィアンテップはモザイクの街。今はダムの下に沈んでいる古代都市ゼウグマは、ユーフラテス河沿いにあり、アレキサンダー大王に仕えた将軍によって、紀元前300年頃に建設されたとされます。最も繁栄したのはローマ帝国の支配下に入ってから。ゼウグマは当時、芸術の都市としてその名を世界に知られていました。上流貴族が暮らした邸宅からは保存状態の良いモザイクが多数発掘され、これらはゼウグマ・モザイク博物館で見ることができます。特にモナリザと比較される事が多い、『ジプシー(羊飼い)の少女』は必見。明るさを抑えた部屋に一枚だけ掲げられ、少女の強烈な眼差しが見る人をひきつけます。雰囲気ある静かな音楽と明かりの演出も見事で気分を盛り上げてくれます。

  • イメージ イメージ 『ジプシーの少女』はどの角度からも少女と目が合う(ゼウグマ・モザイク博物館)

また、ガズィアンテップはトルコ人の誰もが認める美食の街。名物は、ピスタチオ、バクラヴァ、肉料理です。今回昼食で訪れたのが、街でもっとも有名なバクラヴァの専門店「イマム・チャーダス」。バクラヴァとは、手作業で幾層にも重ねた薄いパイ生地に、ナッツをたっぷり挟んで焼き上げ、バターシロップをかけて仕上げるスイーツ。オスマン帝国時代から愛され、この地で採れたピスタチオをふんだんに使っています。ほかにも、のびるアイス(トルコアイス)や、トルコ南部の名物料理「ケバブ」をおいしくいただきました。

今回の貴重な経験を踏まえ、「神秘のネムルート山と東トルコ紀行10日間」の旅を企画しました。イズミールやパムッカレ、カッパドキアをめぐるトルコの旅を経験した方、遺跡好きな方にぜひおすすめしたいツアーです。

  • イメージ 街の有名店「イマム・チャーダス」での昼食
  • イメージ ピスタチオのバクラヴァはお土産にも最適
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