「日本を今一度 せんたくいたし申候」。これは坂本龍馬が姉・乙女宛ての手紙にしたためた志。
黒船来航とともに舞台は江戸から京へ。龍馬をはじめ、そんな激動の時代を駆け抜けた志士たちに思いを馳せる旅と、後半では戦国時代の薫りを残す、兵庫のお城めぐりをご紹介します。
幕末の歴史を辿る京都の旅は伏見からはじまります。江戸時代の伏見一帯は、大阪天満橋から伏見を結ぶ旅客船の三十石船や、酒や米を運ぶ十石舟の船着き場があり賑わっていました。幕末のヒーローの1人、坂本龍馬が京都の定宿として頻繁に訪れていたのが、伏見の船宿・寺田屋です。
倒幕に向け、龍馬は敵対していた薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の桂小五郎を粘り強く説得し、「薩長同盟」締結へと導きました。大仕事を成し、寺田屋に戻ってきた龍馬を、幕府の捕方が襲撃したのが寺田屋事件です。いち早く捕方に気づいたのが、寺田屋で働いていたお龍(後に龍馬の妻)。裏階段を駆け上がり、龍馬に知らせます。龍馬は高杉晋作から贈られたピストルで応戦するも深手を負い、近くの材木小屋に隠れました。一方、お龍、そして龍馬とともにいた三吉慎蔵は薩摩屋敷へと走ります。知らせを受け、屋敷から出された船により、龍馬は救出され、九死に一生を得たのでした。
寺田屋は、その後の鳥羽伏見の戦いで焼失しましたが、現在再建された建物が歴史を語り継いでいます。今も残る十石舟の船着場、そのすぐそばに寺田屋がありました。かつて、志士らが走った町並みを、昔ながらの風情を残す舟から眺めるのも一興です。
維新三傑の1人、木戸孝允(桂小五郎)も忘れてはなりません。維新後、病にかかり、鴨川沿いにあった広大な近衛家の別邸を購入して療養していましたが、明治10年に44歳の若さで亡くなります。現在はその一部が、木戸孝允旧邸として残されています。ここでも明治維新の激動の時代を駆け抜けた彼の功績が偲ばれます。
そして当時、立場の違う人々が出入りしていたのが花街です。西郷、龍馬、久坂玄瑞、そして新選組の隊士たちなども訪れたという料亭の角屋。現在は「角屋もてなしの文化美術館」として、貴重な建築や庭園などを見学できます。また、幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」では、龍馬をはじめ西郷ら倒幕派志士の遺品とともに、新選組、徳川慶喜や松平容保など幕府側に関する資料も展示しており、歴史を双方の視点から一度にご覧いただけます。
景観の美しさや石垣、堀の大きさなどを目の当たりにする兵庫のお城めぐり。日本百名城を訪れます。まずは羽柴秀吉が築き、池田輝政が増築した、世界遺産の姫路城へ。2015年に完了した大修理によって、白漆喰の外壁が一層輝き、「白鷺城」と呼ばれるにふさわしい姿に生まれ変わりました。屋根瓦は灰色ですが、見る角度によって城全体が白く見え、なんとも優美です。
一方、竹田城は古城山に築かれた山城で、「天空の城」として人気。建物は残っていませんが、城跡からの眺めは圧巻です。山城へはタクシーで向かい、駐車場より約20分歩くと城の入り口・大手門に到着。そこからいよいよ、山頂に残る石垣遺構が、山城として全国屈指の規模を誇る竹田城の中心部へ。山頂の天守台に立つと、尾根筋に南千畳、北千畳、花屋敷が放射状に配されているのがわかります。横矢を掛けるために屈曲をつけた堅固な石垣の先には、山々と田園風景が織り成す爽快な眺めが、彼方まで続いています。
最後に訪れるのは篠山城。この城は、徳川家康の命により、西日本の大名を動員した「天下普請」により築かれました。堀とともに残る高石垣の堂々とした景観に圧倒されます。2,000年、二の丸跡に復元された絢爛な大書院も、じっくりご覧ください。