[ セレナーデ時間 ]

セレナーデ号で楽しむ秋限定のドナウ河の船旅

歴史の足跡に出あう
バッハウ渓谷クルーズ

企画=南家知文/大泉千晶 文=小野瀬宏子
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ハンガリー、スロバキア、オーストリア、ドイツをめぐるドナウ河の船旅。今回は、人気が高いこのコースのハイライトの1つ、バッハウ渓谷の歴史物語をご紹介します。河畔に佇む古城や教会。各所で時代の息吹を今も感じられることでしょう。セレナーデ号に乗船した気分で誌上クルーズをお楽しみください。

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波乱の時代を静かに物語るバッハウ渓谷の景観

ドナウ河の上流域に位置するバッハウ渓谷は、オーストリア北部の古都クレムスからメルクまで、およそ30キロにわたり城や教会、ぶどう畑などが続く人気景勝地です。「バッハウ渓谷の文化的景観」として世界遺産にも登録されています。オーストリアのニーダーエステライヒ州には、一説には大小あわせて70以上もの城や城砦があるそうです。どうしてこんなに多くの城が建てられたのでしょうか。

古代ローマ時代、しばしばゲルマン人部族との国境となったのが、ドナウ河でした。「ローマ帝国の国境線」という世界遺産の1部でもあります。ゲルマン人たちがキリスト教化され、時代が下っても、東方に住んでいた異民族たちは、ドナウ河を利用して次々に西部へ侵入。17世紀には、オスマン帝国軍がウィーンを包囲しバッハウ渓谷まで進軍し、多大な被害をもたらしました。このため河畔の住民たちは、城壁や要塞をつくり、時には河に鎖を渡すなどして、敵の侵入を防ぎました。ドナウ河沿いは約1500年以上にわたり、争いの絶えない場所だったのです。その名残りが、現在では美しくロマンティックな風景として、旅人たちの目を楽しませています。

  • イメージ イメージ ❶ バッハウ渓谷の東の入り口はクレムスから
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歴史に残る古城や人々を守った「要塞教会」

実際のセレナーデ号では、クルーズ中に添乗員による船内アナウンスでバッハウ渓谷の見どころをご紹介します。さあ、ここからは誌上クルーズへご案内しましょう。まず向かうのはバッハウ渓谷の東端にあるクレムス。初期バロック様式の教区教会などが今も残されています。その隣、シュタインとともに塩とワインの取引で栄えた街です。シュタインはモーツァルト研究家であるルートビッヒ・ケッヘルの故郷としても知られています。

次に現れるのはデュルンシュタインです。白と青のコントラストが鮮やかな尖塔は、「聖堂参事会修道院」のもの。山の上に見える12世紀に築かれたケーリンガー城址、別名「デュルンシュタイン城」とともに、ぜひお写真に収めていただきたい人気の景観です。街歩きもお楽しみください。

この城は、12世紀イングランドのリチャード獅子心王が、十字軍遠征からの帰国途中に幽閉されていたことで知られています。リチャード王は、第3次十字軍遠征に参加しましたが、本国で弟が王位を狙っているという知らせを受け、本国へ引きかえすことに。ところがその途中、十字軍内の敵対勢力であったフランスとドイツに狙われ、ドイツ王ハインリッヒ6世に捕らえられてしまいました。本国でその知らせを聞いた騎士の1人、ブロンデルが吟遊詩人に身をやつし、王が好きだった歌を歌いながらライン河畔などを探索。デュルンシュタイン城の下を通った時、塔から彼に合わせて歌う王の声が聞こえたことから、王を発見。莫大な身代金を払って連れ戻したと伝えられています。

  • イメージ イメージ ❷ 美しい塔はデュルンシュタインの街のランドマーク

セレナーデ号は進み、なだらかな丘陵地帯に。ワインづくりが盛んなヴァイセンキルヘンは有名品種リースリングを使った白ワインの発祥地。この地に立つ要塞教会は、16世紀のオスマン帝国の侵入により、矢狭間(やざま)がある城壁や見張り塔を備えるようになるなど、通常の街の教会とは外観も異なります。敵が攻め込んできたときには籠城できるようにも備えていました。

  • イメージ イメージ ❸ ヴァイセンキルヘンの要塞教会は14世紀に建てられたといわれる
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“千の桶の山”とオーストリアのワイン文化

さらにクルーズは続き、バッハウ渓谷のほぼ真ん中に位置するシュピーツへ。丘の斜面にぶどう畑が広がる風景は雄大。ぜひデッキでお楽しみください。豊かな収穫量から“千の桶の山”と呼ばれる山もあります。ところで古くからワインに親しんできたオーストリアには、ホイリゲと呼ばれるワイン酒場が各地にあります。17世紀後半、オスマン帝国との戦争によりウィーン市内でワインを入手しにくくなったため、人々が郊外の農家に自家製ワインを買い出しに行くようになったことがホイリゲのはじまりだそうです。

オーストリアでは白の生産量が6~7割、赤の生産量が3~4割と、近年は赤の生産量が増加。代表的なぶどうの品種としては、白のグリューナーベルトリーナーなどがあります。また、この時期におすすめなのが「シュトゥルム」という、ぶどうジュースからワインになる手前の発酵途中の飲み物。当地の秋の味覚の1つで、地元の人たちに人気だそうです。寄港地で見つけたら、味わってみてはいかがでしょう。

  • イメージ イメージ ❹ ぶどう畑が広がるシュピーツ。11月には見事な黄金色に染まる。
  • イメージ シュトゥルムのアルコール度数は3~6%。シュワッと軽い口当たり
  • イメージ ❺ 現在はウィーンの自然史博物館に収蔵されている「ウィレンドルフのヴィーナス」

1908年に旧石器時代のものと思われる小さな石像「ウィレンドルフのヴィーナス」が発掘された谷あいの小さな村、ウィレンドルフを過ぎると、丘の上にアッグシュタインの古城が見えてきます。12世紀、城主がこの城からドナウに鎖を渡して航行中の船を止め、略奪を行ったといわれています。当時は傭兵として働くかたわら、略奪を行う盗賊騎士もいたそうです。

  • イメージ イメージ ❻ 城主が船を襲い通行料を要求した“恐怖のバルト”の伝説が残るアッグシュタイン城

うってかわって、次に現れるのはバッハウ渓谷で最も美しい形をしたお城の1つといわれるシェーンビュール城。元々は要塞として建てられましたが、19世紀にベロルディンゲン伯により大改築されました。城の正面から全景を眺めるには、船上がベストスポット。ぜひ、セレナーデ号の屋上デッキから、麗しい姿をご堪能ください。

  • イメージ イメージ ❼ 河畔にそびえるシェーンビュール城の高さは、水面から約40メートル
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バッハウ渓谷の締めくくりは見応え満点のメルク

セレナーデ号は、やがてメルクへ。河を見晴らす丘の立地に最初に目をつけたのは、古代ローマ軍でした。中世には、バーベンベルク家が辺境伯として堅固な居城を構えましたが、この地が平定されると1100年頃に修道院として教会へ寄贈。メルクは軍の拠点から、信仰と文化の拠点へと変化を遂げました。中世の時代、文字の読み書きは教会が主導していたため、約10万冊もの蔵書を誇る図書館が今も残されています。館内は豪華な天井画が描かれ、まるで美術館のようです。宗教改革以降は、ハプスブルク家などの貴族たちが、旧教派の威信をかけて多くの寄付を行ったため、壮麗な教会を備えた大修道院となりました。現在もバッハウ渓谷のシンボル的存在として、多くの旅人を魅了し続けています。

今回ご紹介した上りのコースでは、約3時間かけてゆったりとめぐるバッハウ渓谷クルーズ。10月初旬の緑が残る時期も11月にかけて秋色に変わりゆく時期も、風景の美しさは見る者を飽きさせません。そして、この地の歴史を知ることで、目に映る景色1つひとつがより深く心に刻まれることでしょう。

  • イメージ イメージ ❽ 堂々とした風格漂うメルク修道院は、内部も豪華絢爛
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