「親指トム」と呼ばれたその蒸気機関車がアメリカの地を走ったのは1830年のこと。
アメリカで最初の長距離鉄道会社が行った実験は、当初は荷馬車とどちらが速いかを競うもので、列車の走行速度は時速10~14マイル程度であったという。あまりにも小さかったことから「トム・サム(親指トム)」と呼ばれ、そのレプリカは今も東部ボルティモアの地に展示されている。
				
				
			アメリカの鉄道は、当初は延伸させるよりも東海岸の主要都市をつなぐことを優先し、狭い範囲に留まっていた。そして沿線に次々に街ができ、そこには賑わいと街を構成するに必要な施設が続々とつくられていった。そんな光景に魅せられた2つの会社がその後、鉄道の夢を徐々に西進させることに成功。その軌道はやがてシカゴやミシシッピ河まで届くことになる。
そして1849年、カリフォルニアでのゴールドラッシュにより、その夢は頂点に達し、東部と西部を鉄道で結ぶ計画は、時の大統領エイブラハム・リンカーンによって認可され、異なる2社が東と西から中央に向かって敷設した鉄道は1869年ソルトレイクシティ北方の砂漠で歴史的接合を果たすこととなった。最後に「黄金の犬釘」が打ち込まれ、そこは今「ゴールデンスパイク」と呼ばれる国立歴史公園となっている。時に1869年5月、残念ながらリンカーン大統領暗殺の4年後のことであった。
				
				
			第2次世界大戦後、航空機や自動車の台頭により、アメリカの鉄道は衰退の一途を辿ることになる。これは国土の大きさに拠るところが多く、1960年代は多くの鉄道会社が旅客営業の廃止に踏み切り、シカゴを中心に残っていた旅客鉄道も存続の危機に瀕した。その全滅を危惧した連邦政府がこれに介入して、現在の全米鉄道旅客公社(通称アムトラック)が設立された。それでもアムトラックが所有している線路はごく一部で、そのほとんどはいまも大手貨物鉄道会社の線路を借りて運行している。だからこそ、派手な駅舎や現代的な施設への改良はおこなわれておらず、我が国のような豪華列車が走ることもない。レトロな雰囲気を残すこの鉄道に往年の鉄道ファンが集まってくるのだ。遅れもしばしあるし時には早く着くことも。「それもアムトラック……」と乗客は表情1つ変えず悠々と構えている。
				
				アメリカ大陸横断の夢を紡いだ線路
			
				アムトラック2階建て寝台車スーパーライナーの車体
			
				ネヴァダ州に入る看板。ここから太平洋時間に入る
			
				
				
			
				
				
			
				
				
			「カリフォルニア・ゼファー号(ゼファーはそよ風の意)」はアムトラック一の景勝ルートといわれる路線である。映画『アンタッチャブル』のラストの名シーンでも知られるシカゴのユニオンステーションから列車はスタート。乗車後まもなく大河ミシシッピを渡り、翌日は敷設も難関を極めた「ロッキー山脈越え」。ここはうれしいことに日中の時間にスケジュールされており、朝から夕刻まで迫りくる茶色い岩肌の景色をご覧いただくことができる。この路線には食堂車以外に展望車が付いており、窓のほうを向いた椅子に腰かけてロッキーの山並みを楽しめるのが魅力だ。グレートソルトレイクやヨセミテのあるシエラネヴァダ山脈北東のリノなどを通過し、カリフォルニアへと至る。線路沿いにゆったりと流れる素朴な田舎風景とダイナミックな景観。このコントラストが見事なルートである。列車は2泊3日の旅を終え終着駅エメリーヴィルで下車となる。その距離3,924キロ。そこからベイブリッジを渡って、サンフランシスコへ。
				
				アムトラック「カリフォルニア・ゼファー号」は五大湖から太平洋まで、山を越え、河を渡り、3,924キロを約51時間かけて走り抜ける
			
				アメリカの鉄道連結点シカゴ ユニオンステーションから出発。ラウンジも利用できる
			
				エメリーヴィル下車後、世界で最も幅の広いベイブリッジを渡り、サンフランシスコへ
			列車は決して豪華ではない。2階建ての車両は主に2種類。ベッドルームコンパートメントとルーメット。前者は3名までの利用、後者は2名までの利用だが、手狭であって、それぞれ2名利用、1名利用が望ましい。
				昼間は向かい合う座席が夜は2段ベッドに。シャワー、トイレは共用
			
				広い客室はシャワー、トイレ付き。昼間はソファと椅子が別々に使われ、夜は2段ベッドに
			
				
				朝昼夕の食事は食堂車で。「カリフォルニア・ゼファー号」はフルサービスのダイニングサービスが残る数少ない路線
			夢の大陸横断鉄道 ― 今でこそ鉄道近代化の遅れが示唆されている合衆国であるが、大西洋から太平洋までの5,000キロの夢を紡いだ軌跡は忘れてはならない。30を超す鉄道が大きな大陸に縦横無尽に走るアムトラック。その中心であるシカゴから西海岸までを、随一の景観といわれる「カリフォルニア・ゼファー号」で辿り、大陸横断という体験の主役になる。日常を忘れてゆったりとした時を刻み、200年近い鉄道史に思いを馳せてほしい。